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2011年8月4日木曜日

ミスターマリノス、闘魂DF、松田直樹よ永遠に!

8/4はサッカーファミリーにとって悲しい一日となりました。

JFL松本山雅FCに所属するDF松田直樹選手(34歳)が8/2の練習中に倒れ、
心肺停止のまま、病院に運ばれてから2日後、8/4午後に、急性心筋梗塞
の為、逝去されました。まだ34歳、余りにも若過ぎる死でした。

松田直樹選手は、マツの愛称で呼ばれ、横浜Fマリノスで16年間プレーした
功労者の一人です。マリノスが2年連続(2003、2004年)でJリーグ年間王者
になったときのメンバーであり、2002年日韓W杯日本代表選手でもありました。

持ち前の熱血漢から、プレースタイルも激しく、外国人選手が相手でも
向かっていく闘志、迫力は他の選手を圧倒していたと言えます。
キングカズ選手がコメントしていましたが、相手からすれば非常に厄介な
DF選手の一人でした。

ミスターマリノスと呼ばれるに相応しい日本人として、個人的に名を挙げれば、
現Fマリノス監督の木村和司氏、現柏レイソルヘッドコーチの井原正巳氏、
そして松田直樹の名が挙がるのではないかと思います。歴代のミスターマリノス
の中でも闘魂DFと呼ぶに相応しい選手でした。

昨年、マリノスから戦力外通告を受け、多くのマリノスサポーターが抗議の意を
表わし、署名数は2万人も集まったそうです。マリノスの嘉悦社長が後日、
サポカン(サポーターカンファレンス)を開催することを提案、その席で、
戦力外に至った経緯、チームとしての方針、考え方を伝え、一応の収束を
迎えましたが、それだけ多くのマリノスサポーターは松田直樹の戦力外には
納得出来ず、マリノスには松田直樹が絶対に必要!と訴えていたわけです。

昨年のホーム最終戦、対大宮戦で後半から出場、ほんの数分間のラストプレー
でしたが、魂のこもったプレーを見せてくれました。※結果はマリノスの負け。

マリノスを退団後も、複数のクラブからオファーがあったと聞いていますが、
最終的に入団を決めたのは、JFL松本山雅FCでした。これはTBSのバースディ
というドキュメント番組で見たと記憶していますが、決め手は、松本山雅FC社長
の情熱、そしてサッカー選手の移籍に付きものの、高額な報酬目当ての移籍
ではなく、ただ純粋にサッカーをやりたい、松本山雅FCをJリーグに昇格させたい
という真摯な思いでした。※事実、松本山雅が提示した報酬はマリノス時代の
半分以下だったと言われています。

今年から心機一転、松本山雅FCの一員としてスタートした矢先の訃報。
本当に残念で言葉になりません。ただただ残念です。そして悲しいです。

多くの方々が様々なメディアでコメントしておられるように、
日本サッカー界は大変惜しい人を亡くしたと思います。
あれほどの闘魂DFはもう出てこないかもしれません。

今はただゆっくりと安らかに眠って欲しいと願わずにはいられません。

松田選手のご家族、ご親族の皆さまには心よりお悔やみを申し上げます。


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